手法の書き出し1−韻を踏む

作品紹介

 

詩の中で自分の使える技がそれなりに溜まってきたので、どんな手法があるのかを書き出してみる。最初は「韻を踏む」というもの。

「韻を踏むというのはどういうことなのか?」や「頭韻・脚韻とはなにか?」というような難しいことを考えなくても、発音記号もかねている日本語は簡単に韻を知ることができる。平仮名の横並びにある文字列がそれだ。あ行なら「か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ・が・ざ・だ・ば・ぱ」と、「あ」の横並びにある文字は同じ音になる。「い・う・え・お」も同様。

韻を踏んだ例:

あい
かい
さい
たい
ない
まつげない

は、韻を踏んだ遊びといえる。このとき、「あい」の「い」が同じであることを韻だと思う人がいるかもしれないが、「い」を変化させてもかまわない。

あい
かき
さじ
まつげだい

という風に。
こうなると、「まつげない」と「まつげだい」はどういうこと? と思う人もいるだろうが、これは音が同じであること意外に意味はない。二文字で揃えないと駄目じゃないのか? というのも問題はない。音を揃えるという手法と、言葉数を揃えることとは別の話になる。同様に、最初の例を

あい:愛
かい:貝
さい:犀
たい:鯛
ない:無い
まつげない:睫毛無い

とした場合、言葉の意味を揃えようとする人は、「貝・鯛=海の生き物」「犀=生き物」として同列にくくれるけれど、「愛」はどれにもくくれず、「無い・睫毛無い」も別のくくりになると考えることがあるだろう。けれどこれも、音を合わせることである韻を踏む手法とは関係ない話だ。もちろん、「海の生物しばり」で韻を踏むというルールであれば「犀・愛・無い・睫毛無い」は使えなくなるが、それは韻を踏む手法とは別の問題である。





無い
愛の懐胎
愛の臍帯
愛の体内
愛の睫毛無い
愛の睫毛代

つながりのなかった「愛・貝・犀・鯛・無い」が「愛の懐胎」により意味がつながったものの、「愛の睫毛無い」からは再び無意味になる。ここでの意味は「母音を踏むこと」以外にはない。音を合わせるということを考える「韻を踏む」という手法に特化した作品を書く場合には、言葉の意味や個々のつながりよりも、音にこだわるほうが手法の上達につながるように思う。


◆韻を踏むことに特化した自作:韻を踏んづける(簡略版)


 あそこ いとこ うろこ えごころ おののいもこ

 カラン 麒麟 くるん 外連 コロン

 サランラップ 知らんラップ Stand-Up 乱世MAP ソーラン節W杯

 畳 血祭り つまり 手毬 トドの祭り

 懐かしいね 似つかわしいぜ ぬすっと犬め! 熱さまシート ノストラ騙す

 恥ずかしい 日暮し 不屈の魂 減るもんじゃなし 本気だしい!

 魔界 未開 無害 眩暈 モアイ

 やずや 衣類 ゆず湯 LL 呼ぶよ

 羅門 リボン ルンバ レモン 魯鈍

 ワニガメ イシガメ 海ガメ 液キャベ ヲチだぜ

 Gum 義務 Gummi 無碍 Gom

 雑草 実証 ズルそう 絶唱 俗称

 騙しあい ぢが辛い ヅラ奪い でかい愛 ドライアイ

 番長 便乗 文鳥 便所 ボンジョビ

 パッと届く ピット篭る プッチョの雌 ペットボトル ポットノズル

 んだ(そうだ) ンキー(さる) んぐ(喉づまり) んで?(それで?) んどん(うどん)

 

画像:pixabay(加工:とよよん)